構造的な問題

耐震強度偽造問題でよく「構造的な問題」と言われるが、あくまで総研を頂点とする「構造」で、「民間化の弊害」という当たり前のことを指摘する人が意外に少ない。「検査機関は天下りじゃないか!」などと非難する声のほうが多いくらいである。天下りと今回の問題の構造的な連関がいったいどこにあるのか、さっぱりわからないのだが。

今回の問題は民間化と市場原理があくまで時と場合によってしかうまく機能しない、という当たり前のことを浮き彫りにしたはずなのに、そういう方向に議論がいかない。これは単に確認検査機関だけではなく、建築業界自体を過剰な市場競争にさらしてしまった結果こうなったのだと、普通に考えれば出てくるこうした議論がなかなか見られない。

自分の体感でも明らかだが、新築マンションがやたらに多い。私の近くの駅にも十数階はあるマンションが二棟も建っているところである。人口減少時代に突入し、結婚する人も減少し、核家族化も一段落しているのに、業者もそれを規制しない行政や市民も、一体何を考えているのだろうか。統計データを持っているわけではないが、今の日本の趨勢を考えれば住宅が供給過剰である(少なくとも将来なる)ことは明白である。こういう状況で業者の競争を激化させれば、「いかに魅力的な物件を提供するか」という健全な競争ではなく、「いかにコストを下げるか」という不健全な競争になってしまうことは当然であろう。

今回の問題が深刻なのは、単に手抜き工事・手抜き検査をやりましたというレベルの問題ではなく、ギリギリまで一生懸命やった結果こうなっていると思われるからである。自分で言ってて恥ずかしくならないのが不思議なくらいの責任回避の言い訳も、その口吻や表情たるや血気せまるほど真剣である。どこか間の抜けた表情で答弁にならない答弁を繰り返した、かつての政治家や官僚の不祥事とは全く様相が異なっている。こういう真面目な人々に「建築家としての倫理」を説いてもほとんど無駄であろう。

「構造的な問題」という場合は「コスト低下の競争」にさらされている、現在の日本経済の在り方の「構造」にまで反省の視点が及ばなければならない。そこまで行かなければ、「安全よりもコスト削減が重要」という業界側のモチベーションが低下することはない。そのためには、「もう必要以上のマンションは作らせない」と、政治・行政と国民とが声を上げて、競争を適正規模にまで制限していく必要があるだろう。