悪口、皮肉、茶化しでつながる日本人

最近の『論座』は読ませる文章が多くなったが、特に東浩紀「「嫌韓流」の自己満足」に完全に同意した。東氏も「嫌韓流」という漫画もよく知らないのだが、私の感じていた気分をものの見事に表現してくれた感じがする。

前にも書いたが、近年における中国や韓国との相互嫌悪は意見の違いというよりも、中国の日本批判が「正義」と「怒り」を前面に出すのに対して、日本の中国韓国批判は「頭が悪い」「常識がない」という類のものであるという、コミュニケーションの形式の差こそに求められる。たとえば南京事件について言えば、日本人は歴史実証的な間違いを指摘すれば相手は納得すると思い込んでいるが、そうして指摘をすると中国人は日本は自らの犯した歴史的な悪業について言い訳をしていると受け取るわけである。このギャップを理解していないので、良心的な人は「真の日本を理解してもらおう」という全く無駄な努力をし、ヒネた人間は「中国人や韓国人はアホだ」と皮肉と茶化しに終始することになる。

ただし、話のかみ合わない人間を小馬鹿にすることによる共感のコミュニケーションというのは、単に「嫌韓」連中だけはでなく今の日本社会に日常的に存在することは強調しておきたい。そもそも明石屋さんまの芸風がそういうところがあるし、「何で反対するのわからない」などと繰り返す小泉首相堀江社長なども、そうしたコミュニケーションの形式を代表していると言えるだろう。素朴に昔ながらの情や正義に訴える社民党国民新党は「絶滅危惧種」と言われているが、特にネット上ではボロクソな言われようである(もちろん主張の中身の問題もあるが)。

日本人の悪口好きに辟易している人、自ら振り返って反省する人は一人や二人ではないはずである。これは個人的な経験則で言うが、外国人とは他人の批評や悪口で盛り上がるということはまずありえない。悪口好きは日本人の特徴かというとそうは思わない(というか思いたくない)。昔の世代はむしろ人の悪口を言うことを恥だと考えていた人が多かったように思う。いつから日本人は変わってしまったのだろうか。