シニシズム選挙

また選挙の話題。

小泉首相の言っていることは、「何で民間じゃだめなんですか?まったく理解できない」だけだである。これよりも深いことは何も言っていないと言っても過言じゃない。

これは今回出馬した堀江社長の「何が悪いんですか」の物言いに酷似している。自分のしていることが正しいなどいうことを説明しようとする意志がない。悪くないんだから構わないじゃないか、自分のことを悪く言う人間は既得権益を侵されるのが嫌なだけだろう・・・・・・、そのようなレッテルを敵対者に貼り付ける。こうして、自分の正しさを粘り強く説得する前に、敵対者を「理解できない」「常識が通じない」異質者として批判あるいは茶化しつづけていく。今回の選挙で力を得ているのはこうしたシニシズムである。シニシズムから最も遠く、素朴に情や正義に訴える社民党や、共産党国民新党が力を失っている。

しかしある意味で、小泉首相自体はそれほど危険じゃないと考えている。彼はなんだかんだいって、ツワモノ揃いの自民党の複雑な人間関係を巧みにこなして今の地位を築きあげてきた人間であり、性格的には爽やかでユーモアもあるし、言動にもかなり大雑把でいい加減なところがある。郵政民営化固執する様はむしろ滑稽であると言っていい。自分の行動の首尾一貫性を主張しながら、事実はそれほど一貫していない。8月15日靖国参拝していない、参議院の「造反議員」を党籍を剥奪していない、旧橋本派の人々などどうみても改革に積極的だとは思われない大量の自民党議員を不問にしている、などなど。小泉首相はよくも悪くも清濁をあわせ飲むだけの人格的な力はある。

むしろ危険なのは、小泉首相のやりかたを見て、それを模倣し始めている真面目な若手の政治家たちである。小泉首相の滑稽な発言にはまだ失笑という態度をとることができる。しかし、小泉首相を支持する若手議員の真面目で懸命な説得を聞いていると、どことなく笑い事ではない背筋の凍る思いがする。そこには情や愛嬌、余裕、ユーモアといったものがまるで感じられない。人間が喋っているというより、「改革」という名の文法体系があらかじめ存在して、それが人間の口を借りて語らせているという感じがする。確かに真面目に勉強してはいるが、「郵政民営化は日本経済を活性化させる」という大前提をツユとも疑わず、万事がそれを証明するための勉強なので、聞いていてウンザリするくらい全く単調で硬直した思考に陥っている。これは民主党議員にも若干言えることではあるが。

小泉首相はその独特の愛嬌で反対派を懐柔できるだろうから、必ずしも過激化しないかもしれない。しかし、今小泉を支持している若手議員は、反対派を包容できるような人間的魅力に欠けているので、おそらく「改革」を純粋かつ過激に行ない続けなければ政治的権力を維持できないだろう。私はこうした若手議員が政権を担い、「純粋」に「改革を断行」するようになった時を一番心配している。