市場原理だから悪くない?

最近「それが市場原理なんだから悪くない」という言い方が多い。

しかしこれは間違いだと思っている。市場原理はあくまで必要性から存在している。それは、規模が大きな現代の資本主義社会では経済が具体的な二者関係の集積からだけでは成立することだけできず、不特定多数の人にも経済がどのような仕組みで動いているのかの客観的な基準を提示しなければならないからである。市場原理は定規の目盛りや数式のような一般的な規則を提示しているに過ぎない。定規や数式に従っていない人はいないが、それが正しいと思っているから従うのではなく、それがないと生活に困るから従うのである。だからといって、生活のすべてを定規や数式に換算すべきなのか、と言えばもちろんそうではない。市場原理も同じことである。市場原理そのものの規則性を否定することはもちろんできないが、それをどのように扱っていくかどうかはあくまでその人自身の価値観や好みの問題に過ぎない。ほとんどの人は好きで市場に関わっているのではなく、生活の必要上仕方なしに関わっているにすぎないのだから。

悪いかどうかはその国民の「常識」「道徳」が判断する問題である。「常識」や「正義」「道徳」に反するような経済活動は、市場原理に従っていようがいまいが当然悪いに決まっている。ところが不思議なことに、誰も「正義」や「道徳」を語らないで「市場原理だから」という言葉で納得させようとする。私から見ると、これはシニシズムの極致である。自分の中に道徳や正義がないことを自ら告白しているようなものである。市場原理を徹底化させることがいかなるよい世の中を生み出すのか、ということを反永久的に括弧にくくったままにしておき、それによって経済が活性化するからという根拠の乏しい説明か、とにかくそれが原則なんだからという言い方でしか正当化しないのである。

竹中大臣郵政公社の労組を「民営化から逃避して楽している」と批判したそうだが、これが本当かどうかはともかく、おそらく市場原理を支持するような人は、安定した地位や職場にあるように見える人に「楽をしている」とルサンチマンを感じているのかもしれない。おそらく、市場原理主義に気分的に同調している人たちは、その程度の「正義」しか持っていない。そう考えると今の市場原理主義というのは、「国益のためにみんなで苦労しよう!」というカビの生えた精神の復活なのかもしれない。