中国の誤解など解く必要はない

今日サンデープロジェクトをたまたま観ていたら、中国人学者と田原総一朗岡本行夫さんが討論していた。観ていてうんざりした。

田原たちは中国人の日本に対する誤解を解かなくては、と真剣に思っているらしいがムダである。「中国の人たちが危険視しているような日本人は一部ですよ」と繰り返し丁寧に説明しても、「でも日本の政治家の中にこういう発言がありましたよ」と中国人は杓子定規に反論する。これが一度ではなく、何度となくしつこいほど繰り返される。中国人は真面目に田原たちの話を聞いていない、というより事実が何であろうと「日本人は中国にとって危険になりつつある」と思いたがっていることは明らかである。

過去の戦争を肯定し、再び軍事大国にしたがっているような日本人は一部であるという、少しでも日本に興味があればわかるような現実をあえて中国人は受け容れたがらないのだ、という単純な事実に田原たちは直視していない。中国の人々は石原慎太郎小林よしのりなどの、過激な言動を過大視したがる。なぜ過大視したがるのかと言えば、中国人はそういう人たちの存在を実のところ喜んでいるからである。こういうタカ派の人々は、日本の侵略に抵抗してきた中国人の正しさを証明してくれる。だから、中国人は虫眼鏡で探すようにこのような過激な言論を引っ張り出し、日本人の世論であるかのように思いたがるのである。誤解を解かなくてはいけないというが、そもそも相手が「誤解」したがっている。知識がないのというよりも、中国人の都合のいいように知識を取捨選択しているのである。日本が軍事大国になるなどと心配している人々が、比較的日本に対する知識が多いはずの中国と韓国にしかいない、ということの意味を考えるべきだろう。

中国の人の誤解を解こうとして頑張る必要はない。むしろそうした努力をつづければつづけるほど、相手の態度の頑迷固陋さに日本人はうんざりし、失望し、結果的に反中感情が高まるに違いないのだ。誤解はあってもいい。人間である以上、誤解があるのは当然である。重要なのはお互いに楽しく付き合っていこう、と言う根本的な姿勢があるかどうかだけである。その上で生じた誤解は何ら問題はない。「まず誤解を解かなくては」と考えている人は間違いである。自分の旦那や奥さん、友達が自分ことを自分の期待するとおりに全て理解しているかといえば、そのようなことはめったにないだろう。にもかかわらず信頼関係は築けているのであればそれでいいのであり、岡本さんには申し訳ないが、誤解を解くことなど無意味な努力としか言いようがないと思う。