小泉首相の解散総選挙が支持される背景

どうして小泉は支持されるのか?

小泉内閣が支持率をあげている。堀江社長も出馬するという。飲み屋で酔っ払いながら語るような政治が現実になっている。正直、私はあきれ果ててうんざりし、政治に失望している。

普通に考えれば今回の解散総選挙自体がめちゃくちゃの極みである。解散総選挙というには、例えば首相の汚職や与党の選挙不正が明らかになったとか、あるいは憲法改正のような国論を二分する問題ならまだ理解できるし、そうでなくても首相が議会で辞職を求められて窮地に立たされているというならわかる。しかし今回はいずれでも全くない。いったい国民は何に支持を表明しているのか?さっぱりわからない。しかし以下のように考えてみた。

小泉政権の5年の間に「改革」は進んだ。いいか悪いかはともかく、これは認めてもいいかもしれない。しかし「改革」が進んだからといって、国民は満足を得るわけではない。むしろ小泉首相の改革方針はアメリカ型の自由競争社会なのだから、当然ながら貧富の格差を容認するし、人々を競争のアクターであることを要求し、一つの地位に安住させることをなかなか許さない。一方で、税制や年金など国家の根幹に関わる部分については、根本的な改革がなされていない。世間では深刻な問題として周知のニートや引きこもりなどの問題については、真面目に取り組んでいる形跡すらない。老人介護の問題にしても、介護保険制度で将来の不安は解消されたと思う人は少ないだろう。企業の競争は激化したが、多くの企業で行なっているのは経費削減の競争であって、積極的な競争ではない。こうして働き口がない人と、毎日長時間労働しなければならない人に二極分解している。むしろ社会的な不満や不安はこの5年で増大していると言ったほうがよい。

結論を言うと、おそらく「改革」は進んでいるのに不満や不安は解消されていないと感じている人々が、「抵抗勢力」と名指されるような人々にルサンチマンをぶつけ、結果的に小泉首相を支持してしまうのである。小泉改革は経済活動を若干活性化させると同時に、社会的な不安や不満、不確定性を増大させていく。現在の不満足に対する怒りの矛先がどこに向かうのかと言えば、現状の「既得権益」の下で「安定」しているように見える人である。将来不安の中で日々競争に駆り立てられている人々にとって、「安心」「安定」を得ているような政治家や官僚は「卑怯者」以外の何ものでもないように思えてしまうのである。

つまり、「改革」が進めば進むほど現在の状態の不満足度が高まる、という悪循環が内閣支持率につながっているのではないだろうか。この悪循環の中では、何の「既得権益」も背負ってないように見える人間が一番支持されるのである。小泉首相堀江社長の得意の啖呵は、「まけたらやめる」「だめだったらゼロに戻るだけ」である。こういう人たちが支持されているのは、政治家や企業家としての実績ではない。むしろ「将来の期待」を再生産し続けていることにある。「世の中を新しくする」という漠然としたキャッチフレーズだけを掲げ、企業買収や解散総選挙など、実際に新しい世の中へ変えているように見える行動を起こす。そうして、「改革」の中で不満や不安を増大させている人々は、現状の状態を斬新に変えてくれそうなので、小泉首相を支持してしまうのである。

確実なことは、小泉首相自民党が選挙で勝利すれば、この悪循環が確実に強まるということである。物質的な豊かさを一度享受し、人口減少時代を迎える日本が、再びヴァイタリティあふれる高度成長を迎えることはありえない。小泉政権は低成長時代にふさわしい日本へとシフトすることなく、自由競争の促進による経済活性化を目指すと言う、現在の日本の体力に見合ってないことをしている。面白くてわかりやすい政治を期待する人は間違っている。日常のつまらなさに耐え、現実の壁に直面しながら、大過のない的確で現実的な判断を下していくのが政治の役割のはずである。