郵政解散

今日はいわゆる郵政解散について。

私は小泉首相そものより、少なくない国民が首相の行動に賛成していることに危機感を感じる。大体常識の範囲の話だが、改革と言うのは誰にでもわかるような明白な問題点が存在するか、このまま放置すると危機的状況に陥ることがはっきりしている場合にのみ行なうものである。むやみやたらに「改革」をしたら、国民は何を確実と思って生活したらいいのかわからなくなるだけである。しかし、こういう「常識」を語ってもほとんど通用しない状況になりつつある。

小泉首相の新しさは「改革」を行なったことにあるのではない。戦後体制の改革なら橋本内閣以来すくなくともスローガンとしては掲げられてきた。彼の新しさは、「改革の先頭を切っている」という自己イメージを創出しつづけることが、政治的資源となっていることにある。将来は破綻必死の年金制度の改革は中途半端なもので、誰もが認める深刻な問題である若者の就労問題、非社会化の問題はほとんど手をつけていないに等しい状態である。それなのに、誰も深刻な困難を感じているわけでもなく、急ぐ必要も全くない郵政の改革で解散という暴挙に出ている。小泉首相は自分の得意分野だけに焦点をしぼり、そこを徹底的に叩くことによって、果断で明快な改革者であることを自己演出し、国民を煙に巻いている。

「改革」イメージだけが政治的資源の小泉首相なら、これは「想定の範囲内」かなという気もしないでもない。しかし今回正直驚いたのは、世論はさすがに首相のパフォーマンスにあきれ果てるかと思いきや、こうした暴挙に対する支持が随分と多いことだ。理由はよくわからないが、小泉首相の無目的で敵対者を攻撃しつづけるだけの「改革」に、すがりつきたくなるようなフラストレーションが国民の中に蔓延していることは確かなようである。小泉首相は一部の反対者が言うような「ファシスト」では全くないにしても、改革運動と敵対者の攻撃そのものが自己目的化しはじめているところはファシズムの構造に似ている。正直なところこれは極めて深刻な状態に突入したなと思った。

別に郵政民営化については何もないが、一つだけ言えば、現政権が言うような「自由競争」は自由でも何でもない。こうした自由には「自由競争に参加しない」という選択肢が事実上ないのである。GDPが順調に上がり続けているそうだが、世の中に安定感も活力も今一つ感じられないのは私だけだろうか?