明徳義塾が出場辞退

今度は高校野球について。

明徳義塾が辞退を発表した。前代未聞である。

明徳は「野球留学校」の強豪であり、毎年当たり前のように予選を勝ち上がり、甲子園でも1,2回戦を適当に勝つ程度で、野球にもあまり華がないので高校野球ファンにはそれほど人気がない。それでもこの発表にはわりきれない感じを受けたのは私だけではないだろう。

部内の暴力や喫煙、飲酒などは「公然の秘密」である。部活動を経験していた人で、やってなかったと胸をはれる人のほうが珍しいだろう。もちろんそれ自体は悪いことには違いないにしても、大概の人は多少なりとも「前科」がある。引退して何年もたてば、たいていは思い出話、笑い話になる。だからこうした問題を大きく取り上げて出場辞退になるということ自体が異常である。おそらく今出場している高校の半分以上は辞退しなければならない。

この出場辞退によって高校野球のイメージは下がるだろうが、それは明徳が不祥事をしてそれを隠していたからではない。明らかにこの問題には、明徳を不祥事で辞退させてやれという、何らかの恨みを持っているか、変な独り善がりの正義感に燃えた人物か団体かが関わっていることは間違いない。暴力や喫煙は「まあ我々も経験ないわけじゃないし・・・」という感じでまだ許容できる。しかし、こうした政治的な陰謀によって甲子園だけを目標に練習してきた選手の夢がつぶされると、さすがにファンをしらけさせ、高校野球を幻滅させる。

昨年も強豪校の主将がベンチ入りできないという「不祥事」があったが、正直言って最近は昔は別に不祥事扱いされおらず、監督者の怒りの鉄拳と説教で済んでいたようなことが「不祥事」になっていることが多い。これは政治の世界も同様で、昨年の「年金未納」騒ぎで国会が空転したことは記憶に新しいが、これが貴重な国会の時間を割くほどの「不祥事」だったとはとても言えない。

今の日本人は真正面から怒りや抵抗を示すことはあまりなくなった。しかし一方で、粗野ないい加減さと言うべきものが減っているような気がする。この前の脱線事故でも露わになったが、ちょっとした瑕疵や失敗に傷つきやすくなり、目くじらを立てやすくなっている。他人に対する悪口や批評によるおしゃべりは昔からあるにしても、見たところ若い世代ほど多い。こうした風潮の中に今回の出場辞退騒ぎもあるのかなと言う気がしないでもない。