靖国問題・2

たまには日記を書きます。

前に靖国問題について少し触れたが、参拝は絶対にしないほうがいいに決まっている。

第一に、「靖国に参拝しなければならない」という強い世論とは言わなくても、暗黙裡の信仰というか感情が日本人に共有されているとはとても思えないからである。参拝論者の中には「日本人の心の問題」とかをやたらに強調する人もいるが、日本人の大多数がそうした靖国への尊崇の感情を共有しているだろうか。否だろう。靖国参拝自体がいかに正しいのか、素晴らしいのかを、怒りと情熱を込めて語る人は、いないとは言わないがごく少数である。

靖国参拝に賛成しているような人の多数は、「主権の問題」「中国韓国の威圧に屈するな」「諸外国では当たり前だ」という程度の「冷めた現実主義」である。あえて断言すれば、靖国自体は実のところどうでもよく、外国では当然やっていることを日本だけ文句言われることが我慢がならないというだけなのである。そうした感情は理解できるけれども、実際に参拝したら「過去の過ち」や「不戦の誓い」などを改めて行なわざるを得なくなり、実質的に「謝罪外交」が繰り返されることになる可能が高い。

第二に、靖国に対する政治的バイアスがますます強まるからである。靖国参拝をすれば当分はその問題で東アジアの政治家やマスコミが騒ぎ立てることは、賛成反対を問わず誰もが認識しているはずである。昔靖国参拝は「反動右翼」の象徴で、今は中国や韓国に対する「タカ派」の象徴になりつつあるが、いずれにせよ過剰な政治的意味を負わされてきた。首相が靖国に参拝することで、こうした政治的バイアスに拍車がかかることは間違いない。

宮司遺族会がどう考えているかはともかく、首相の参拝が社会を騒然とさせることは「英霊」にとって非常に心外で残念なことではないのだろうか。「右翼」や「タカ派」のバイアスがかかるのであればなおさらである。私が「英霊」だったら、「俺たちのことでゴタゴタを起こすなよ。心の中でお参りしてくれたらいいよ」と思うのだが、どうだろうか。「諸外国に配慮して」参拝反対と言う人はいても、「英霊のことを慮って」参拝反対という意見が出てこないのは正直なところ疑問である。中国や韓国の干渉に怒る以前に、靖国神社を訪れている人の多くが「なんか問題になっているから」「話のネタとして」訪れている現状に怒りを覚えるべきだろう。