「どうして反日デモが起こったのか」再考
もう3ヶ月以上たってしまったが、議論が収束する前にノートとしてまとめておきます。
まず従来よく言われている原因の間違いから。
(1)江沢民時代からの「反日教育」のせい?
共産党は共産主義イデオロギーにかわる正統性を調達する道具として、「反日愛国」のナショナリズムを掲げるようになったというのはわかりやすいが、底の浅い議論であることは確か。共産党が教えているのは「反日愛国」だけではない。相変らずマルクス主義だって教えているし、江沢民が一生懸命鼓吹した「三つの代表」思想などもあるが、もはや誰も信じていない。もちろん「反日愛国」教育が全くなければ現在のような状態に至らなかったかもしれないが、いろいろ教育した中で「反日」だけがなぜか残っているという点をあくまで重視すべきだろう。
(2)共産党批判の隠れ蓑?
あれは実は隠れた政権批判である、という主張は全く間違いだとは言わないが、それが正しいと言うには豊富な証拠が必要である。少なくとも私が聞き及ぶかぎりでは、中国人の共産党に対する強い不満はほとんど聞いたことがない。留学生などであればある程度言えるはずだが、まず言わない。賞賛もしないが統治権力者としては認めているという感じである。それに、本当に共産党を批判したいのであれば可能な範囲ですればいい。常務委員の悪事を暴いたり、政策に真正面から反対するのはさすがに無理だろうが、官僚の腐敗とか貧富の格差といった問題を、デモでなく訴えることはいくらでも可能であり、なぜそれをしないのか(中にはいるとは思うが)。結局この見解はどこまでいっても推測の域を出ないものである。
(3)貧富の格差の不満?
デモが起こるには何らかの社会経済的な背景があることは確かであるが、「反日」ナショナリズムが貧富の格差を原因としているとはとても思えない。本当に貧富の格差が問題であれば、地方で起こっている出稼ぎ労働者の「暴動」が反日ナショナリズムでなければならない。反日でも参加していたのは、群衆の中に出稼ぎ労働者らしき人も一定数いたようではあるが、主導的な層は明らかに学生とサラリーマンであり、起こっている場所も経済的に裕福な地域である。それに、貧富の格差それ自体が不満の原因となるとは必ずしも限らない、ということがこうした意見ではほとんど考慮されていない。
(4)将来の不確定性へのいらだち?
前にも書いたが、これは適切な説明ではないと思う。将来の不確定性などは、特に冷戦崩壊以降の世界中のあらゆるところに普遍的に存在する。問題があるところどこでもこれで説明できてしまう。ということは何も説明していないということである。不確定性が原因と認めるとしても、やはりデモに参加した学生やサラリーマン層は比較的将来を明るく描ける社会層である。漠然と不確定性ではなく、不確定性を生み出しているメカニズムが何が、それが社会的な不安や不満となり、反日ナショナリズムと結びついている原因が何かをきちんと説明しなければこうした議論には意味がない。
(5)共産党政権の陰謀?
デモは実は「官制」デモだったという一見馬鹿馬鹿しい意見が意外に根強い。私も100%ありえない話だとは思わないが、この解釈は中国共産党は完全に社会をコントロールしている独裁政権であるという政治的バイアスがあり、そのバイアスで全ての事象を説明してしまうので、説明の筋は通っているが説得力はない。政府の一連の対応は、「利用できると思ったがやばくなったのでやめた」というのが常識的な解釈だろう。デモが簡単に取り締まられたのは、「官制」だからではなく、ほとんど遊び半分だったからと理解するのが普通である。
相変らずこのような間違った解釈ばかりが横行しているのに、議論は収束しはじめてるのが残念である。特に目立つのが、「何か裏の政治目的があるのでは?」「社会の不満のはけ口になっているのでは?」という道具主義的な議論である。道具主義的説明はわかりやすいというより、ある問題を「所詮その程度の動機によるものなんだ」という安心感を与え、危険のなものを解毒化していく作用がある。以上の議論は、「反日」の現実から目を背けたいという、日本人の心理が働いてるのかもしれない。