靖国問題

日本で靖国に行くべき/行くべきではないという議論が盛んであるが、どっちにしても優勢なのは冷めた現実主義である。

文藝春秋』で中国人学者と激論を交わしていた桜井よし子や田久保忠衛は、靖国に行くべき「正義」を真正面から主張する点でむしろ例外である。どうやら優勢な議論は「日本の主権の問題だから行くのは別に構わないじゃないか」か「トラブルの元だから政治判断として行くべきじゃない」かのどっちかである。

しかしこうした似非現実主義は、日本に対する不信感や蔑視感情を強めるだけだ。前者は単なる居直りだと思われるだけだし、後者は「強く出さえすれば日本は折れる」という間違ったシグナルを相手に与える。どっちにしろ中国の反日感情、日本の反中感情を高めるばかりだろう。

問題なのは靖国参拝に行くことの「正義」を語れる人が、参拝に賛成する人の中でもごく一部であることにある。「韓国や中国に言われたから行かないなんて馬鹿な!」という感情には共感するが、諸外国を説得するにはやはりそれ以上の「正義」が必要である。韓国人や中国人は、稚拙とは言え中学生ですら靖国参拝反対の「正義」を語ることができるだろう。いくら日本のほうが筋や理屈が通っていようが、この出発点においてもはや韓国や中国には負けているのである。