中国に関心をもつ日本人、日本に無関心の中国人

その昔は、日本人は中国人に比べて過去の歴史を知らない、という報道がよくあった。当時高校生だった私でもその嘘はいっぺんでわかった。中国人に対しては学校で真面目そうな生徒にインタビューしているのに、日本人に対しては渋谷かなんかのいかにも遊んでそうな若者にインタビューしているのである。さすがに今はそんな見え透いた偽善的な報道はなくなった。むしろ中国人のほうが日本の歴史をあまりに知らないことが明らかになった。留学で日本に来る学生ですら織田信長徳川家康の名前を知らないのが普通である。

日本人は一般的に言って中国に(おそらく世界一)興味がある。歴史書歴史小説やはもちろんだけれど、ビジネス本などのたぐいでも「中国人とうまく付き合う方法」「中国人とはいかなる民族か」という本があふれている。中国を無知で非常識扱いしている論壇の連中にしても、議論の当否はともかく、中国という国と中国人とは何かということをなんとか理解しようというモチベーションは高く、知識も一般的に言って豊富である。

しかし中国人は、日本を激しく攻撃する一方で日本を理解しようというモチベーションが著しく低い。日清戦争以来の敵役にもかかわらず、「日本人とは何か」ということが中国人の側で問題にされたことは滅多にない。岡田英弘氏も指摘していたが、黄遵憲という人が書いた「日本国志」や戴天仇という人が書いた「日本論」という本が知られているくらいだ。日露戦争に勝利した1905年後に一万以上の中国人留学生や亡命者が日本にいて、孫文梁啓超蒋介石魯迅、李大訢など多くの歴史上の重要人物が含まれていた。彼らが必ずしも「親日派」ではないことが多かったのは理解できるにしても、もっと重要なのは魯迅の「藤野先生」のような文章を除くと、彼らは日本滞在の思い出についてほとんど何も語っていないことである。これは中国人による欧米旅行記が多く、当地の文化や風俗についても言及されているのとは対照的である。

あえて断言すると、中国人は日本に対してほとんど無関心に近い。中国を旅行した際に、書店で日本関係の本があまりに少ないことにそのときは意外な感じを受けたが、これは日本で中国関係の本が山積みになっていることと比較すると雲泥の差である。DVDショップなどに行くと「抗日」ものの映画が非常に多いが、つまるところ日本はほとんど「抗日」の文脈でしか登場しないのだ。逆にいうと「抗日」の文脈がなければ日本は中国にとって大した意味をもった存在ではない。日本人旅行者が中国で反日的な言動に接したことはまったくなく、むしろ親身に接してくれる人が意外に多かったという感想をもつのは当然である。「反日」は日本人一般について言及するような脱文脈的な観念ではないからである。

これに比べると日本のほうが、親中的にせよ反中的にせよ、中国を脱文脈的に理解してしまう傾向が強いような気がする。日本人のほうが中国を全体として理解しようとするからである。中国人は日本を批判してもまず日本人論にはならない。日本人は中国を批判するとだいたい中国人論一般になってしまう。あくまでこの限りで言えば、「反日」暴動は見た目ほど日本にとって危険ではないといえるのかもしれないし、日本側の内輪的な中国批判のほうが潜在的にヤバイのかもしれない。少なくとも「反中」感情が世論化している現在、そう思ってみることが必要だろう。