小さな福祉国家

前回の続きで、税金も上げずに官僚も減らすが医療や介護を充実させるという「小さな福祉国家」は、果たして可能なのかについて簡単に考察。

一つには、旧来のように企業と家族のセーフティネットを活用する道である。しかし、いま起っている問題はこれでは対応しきれなくなっていることに由来しているのであり、今でも機能している部分はあるにせよ、これからの将来を見据えた方法では全くない。

二つには、民間企業に委ねる道である。しかし、民間企業には低所得高齢者の介護のような、「儲からないが必要なもの」への対応を期待できない。それに、民間企業には常に経営破綻というリスクがあるが、その時には結局は行政が介入し、多額の税金を投入して社会保障制度を維持しなければならない。

最後には、NPOを発展させる道である。しかし、日本の現状におけるNPOには行政に取って代わるような力量は全くなく、委ねるにしても税金による支援は絶対に不可欠である。NPOは寄付で運営すべきだという人もいるが、寄付文化が皆無に等しい(正確に言えば身内の間には存在するが)日本社会の現実を全く無視した空論に過ぎない。

おそらく現実政治においては、相対的に容易な選択肢として第二の道へと進んでいくことになると考えられる。それは、国民自身が自助努力と不安定性のリスクを果敢に引き受けるということを意味する。しかし、今の日本で「小さな福祉国家」を構成している世論はこれとは全く真逆で、「官僚も民間企業のように必死に仕事をして自分たちの生活を安心させてほしい」というものであることは、あまりに皮肉である。

もちろん「小さな福祉国家」の可能性の道は、上の三つだけではないかもしれないので、ほかに頭のいい人がいたら教えていただきたいところである。