しかし、数人の方が述べていますが、所得に応じて入学金をスライドさせたり、授業料をスライドさせるといった発想はなぜ生まれてくるのでしょうか? そもそも、自らの努力であれ、親が残した物であれ高い所得を得ている人間からたくさんのお金を取ろうという根性が納得いきません。既に所得税では累進課税がしかれており、年間400万円しか稼がない人と年間1億稼ぐ人では100倍以上納める税金が違います(もちろんサラリーでうけとった場合です)。類い希な才能をもっていたり、人がやらないような努力をして得たお金に対して国が必要以上に持っていく現行の制度こそ不平等な気がしてなりません(それを解消する平等な税システムが消費税だと思っています)。年間400万円しか稼げなくても死ぬほど努力している……なんて声も聞こえてきそうですが、そんなことは資本主義の国では通用しないのだと思います。

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/05/post-17.html#comments

最近考えているのは、こういう「正論」をどう批判して、財産的に余裕のある人たち(具体的には税金が2割上がっても現行の生活水準を下げる必要がほとんどない人たち)から再配分を行っていくかということである。

いまのところ考えられる批判は、以下の通り。

(1)現在の収入の水準は「努力」の証明にはまったくならない。収入と努力は全く違うものとは言わないが、基本的には別物だし、そもそもある人の努力を客観的な基準で判定することはできない。

(2)年収1億の企業経営者と人と年収200万のフリーターは、別々の世界に生きているのではなく、日本社会の経済活動のなかで相補的な役割を果たしている。今の社会でコンビニ店員のような労働者がいなくなれば誰もが困る以上、彼らの安定した生活を保障する仕組みが必要不可欠。

(3)現在高収入の人でも、資本主義社会である以上は、一気に財産を失って無一文になる可能性はゼロではないし、またその可能性は「構造改革」以降にとくに高まっている。そのときになって、子供の学費が高くて払えないなどと、困ることがないようにしたほうがいい。

(4)税金が上がると働く気力がそがれるというのは、何の実証的な根拠もない俗説。専門家はもっとこのことを懸命に強調すべきである。

・・・しかし本心をいえば、こんなことは本当は「説明するまでもない」ことだと思っている。力のある人が力のない人に手を差し伸べることに、果たして小難しい理屈など必要なのだろうか。というか、必要とする社会はどこかやはり歪んでいるのではないだろうか。