新自由主義はなぜ支持されたのか

特に「派遣切り」の問題以降、2000年代の「小泉改革」が「新自由主義」「市場原理主義」などとして厳しく批判されるようになっているが(その一方でその中心メンバーたちの社会的地位は基本的に安泰のままなのだが)、そこまで「間違った」政策が大きく批判されてこなかったのは、いったいどうしてなのだろうか。そろそろ、そもそもこうした「アメリカモデル」の「規制緩和」政策がなぜ支持されてしまったかの、政治的な流れを振り返っておく必要もあるだろう。結論的に言えば、それは「新自由主義」の勢力だけが強まったというのではなく、その周辺に多種多様なシンパサイザーが存在していたからである。どういう勢力かを、ノートして簡単にまとめておく。

(1)軍事主義派
 外交・軍事を中心に政治を考える人たち。だから「親米派」以外の選択肢が事実上ない。経済については基本的に無知・無関心で、結果的にアメリカ的な新自由主義を支持。とくに2000年代前半に、「9.11」以降のアメリカ軍事外交と北朝鮮拉致問題のクローズアップで、彼らの存在感が強まった。

(2)伝統保守
 伝統保守派はもともと、家族や地域の伝統的な相互扶助を重んじる立場から福祉国家そのものに否定なため、同じく否定的な新自由主義を深くも考えず支持した。伝統保守派は「個人主義」には批判的だが、伝統的な家族や社会秩序に、政治制度や政策が介入することを拒否するという意味で、「自由」に同調したのである。

(3)社民主義
 社民派が新自由主義を支持したのは、「官僚主義」「利権政治」「中央集権」を打破し、日本社会における「自由」と「多様性」の構築という方向性を共有していたからである。NPOの普及や消費者運動地方分権男女共同参画、情報公開といったテーマにおいて共同戦線を張った。本来市場原理には批判的だが、以上のテーマを実現するために「規制緩和」の文脈に乗っかり、また主要な批判のターゲットも上の軍事主義派と伝統保守派に向けられ、新自由主義的な経済政策への関心そのものが相対的に弱かった。新党さきがけ社民党といった社民派の政党が、「構造改革」「規制緩和」を推し進めた最初の政権である橋本内閣に参加していたのは、この意味できわめて象徴的である。

(4)マスメディア
 新聞やテレビは基本的に特定の政治的に立場を持たないが、伝統的に政治家や官僚といった政治指導層の不正を暴くことを持分としている。もともとは、公害問題、金権政治、成田空港建設のような強権行政など、もっと露骨な「悪」を問題にしていたが、90年代以降にはそうした明白な「悪」が少なくなり始めていた。また広告の関係から、大企業に対しては、あまり勇み足の批判はできないという事情がある。ネタに困った新聞・テレビは、田中角栄などよりもはるかに小物であるが、その残滓でもある「族議員」「土建政治」「官僚政治」の「小さな悪」に対する批判で報道の内容を埋め尽くし、それを「日本社会の構造の問題」として経済理論的に正当化する、新自由主義の論客がメディア上で大きく持ち上げられた。「情報公開」「透明性」「表現の自由」の点でも、新自由主義とは完全に利害関心が一致した。もともと社民主義的だった田原総一朗が、2000年代以降にほとんど新自由主義の広告塔になってしまったのも、こうした文脈の中で理解できる。

(5)中央官庁のエリート官僚(1/18追加)
 重要なものを忘れていた。エリート官僚も元来、政治的には完全に透明無色である。しかし1990年代以降、社会保障費を中心とする財政支出の膨張で、官僚たちにとって「財政支出を減らす」ということが最大の優先事項になってきた。一方で消費税を上げるたびに選挙で大敗した自民党は、必要な増税政策に全く及び腰になってしまった。そのなかで新自由主義的な経済政策は、「民間でできることは民間に」という名の下に、財政赤字を生み出しているような部署や、不祥事が絶えずバッシングを招いているような部署を、民間に「投げ捨てる」ことを正当化してくれるものであった。現場と向き合っている下級官庁の負担は激増したが、それよりも全体的な官僚組織の(言ってしまえば見た目上の)財政コストの抑制のほうが選好されたのである。誤解が多いが、90年代後半以降の「小さな政府」路線は、特に通産省財務省などを中心とした、かなりの程度「官製」によるである。

 以上のようにみると、新自由主義は積極的に支持されたというよりも、あまり批判の矛先が向けられてこなかったことが、その政治的影響力の拡大に寄与したと理解することができる。むしろ目立っていたのは、軍事派・伝統保守派と社民派という対立構図であり、マスメディアも「古い政治体質」を代表するような伝統保守的な政治勢力への批判が大半であった。そうした対立の中で、まさに新自由主義だけが「中立的な正論」のように見え、まさに漁夫の利のように相対的に支持を高めていき、そのことがますます周囲を新自由主義化していくという、奇妙な政治力学が働いてしまったのである。

 伝統保守派は、2005年の「郵政解散選挙」で新自由主義と分裂した。社民派は、経済政策については格差や貧困が問題化する2006年ごろからようやく(!)真正面から反対しはじめた。驚くべきことにマスメディア、とくにテレビは格差・貧困の問題の厳しさが覆うべくもなく明らかになっても、昨年に金融危機が起こるまではほとんど反対の立場を示さなかった。現在でも、新自由主義の中核を担っていた人たちを、責任者ではなく「解説者」としてテレビで見ることが少なくない。