やはり中国問題は存在しない

前回の続きというか繰り返しかも。

今回の冷凍餃子問題は、「貧困層を多く抱える国が急速に『世界の工場』になり、大量の食品や製品が世界中に出回るようになった」という以上の意味は基本的にないと思う。「中国製食品は危険」ということは必ずしも否定しないが、そこから出てくる対応が中国産は買わないとか、日本人同士で中国の悪口を言い合うというのは最悪である。それは仲間内で悪口を言い合いながら、「悪いのはあっちだから」として、問題の解決をほったらかしにするという態度を正当化することにつながりやすい。

農薬が中国で混入したか日本で混入したかで、中国でも日本でも問題になっているようだけど(さすがに中国だとは思うが)、本当のところはどっちでもいいはずである。中国の地方農村を含めた発展途上国で、食品の衛生管理(さらには衛生管理の教育)が劣悪であることに何の変わりもない。日本の企業や厚生省が管理の徹底を図ったところで、人口も膨大で労働者の流動性が極めて高く、大多数の国民が「安全性より食べること」を優先している中国で徹底させることは困難である。

やはりこの問題で気になるのは、「中国では・・・」「中国人は・・・」という物言いがあまりに多いことである。アメリカのBSE報道を思い返していても、アメリカの検査体制のあり方とか、政治的な利害関係とか、牛肉輸入そのものあり方とか、もっと普通で当たり前のことが語られていたように思う。しかし、今回の問題ではなぜか「中国」で一斉に思考停止状態になってしまい、原因と責任の所在が「中国」であるかのような語られ方が多くなっている。もちろん、「ダンボール肉まん」騒動とか公害問題とか、いろいろと「中国産は危険」であるという伏線があったわけだが、さすがにそろそろ経済や貿易、農業といった全体的な構造の話に踏み込むべきだろう。

もしも「やはり国産が一番安心」であるというのであれば、「国産の農産物を保護するために日本の農業と農村社会を積極的に支援すべきだ」という意見に多少なりとも同意し、そのための税負担を「国民」として引き受ける覚悟が必要である。しかしほとんどの人は、「食の安全はお役人と企業が当たり前に守ること」を大前提にして今の冷凍餃子問題を論じ、その前提の下で日本とは経済的な条件や社会環境が大きく異なる中国にも「当たり前」のように「食の安全」を求めている。

繰り返しになるが、この問題はリスクそのものを不可避として引き受けるか、つまり「事件」が起こる可能性を前提にしてその対応のためのルールや制度を整えるか、あるいは食物自給率そのものを引き上げていくかいずれかしかないと考える。個人的には後者(というかもちろん両方)の道のほうがより好ましいとは考えるが、なんだかんだ言いながら多くの日本人は「安全」よりも「安い」ものを求めて、長期的には前者を選択するのではないかと思う。