ロスト・ジェネレーション

昨日の続きみたいな話。

だいたい1970年代を生まれを指している「団塊ジュニア」世代は、最近「ロスト・ジェネレーション」などと呼ばれている。こういう物の言い方に現れるように、最近この世代がかなりネガティブに評価されるようになっている。

この世代は「やりたいことを仕事にする」のがベストだと、学校でも教わってきたし、親からも社会からもそれが正しいと言われ続けてきた。学生時代に上の世代が「不況」で苦しんでいるのを目の当たりにし、リストラで年功序列と終身雇用が破綻しつつあることが喧伝され、社会の変化に対応できない「会社人間」はほどんど批判・否定の対象であった。ところが、いざ就職戦線に出てみると「やりたいこと」はほとんど仕事にできないし、いざ就職してみるとマニュアル化された作業を機械的にこなすような仕事ばかり。しかも仕事量は膨大であり、給料も安い。本当に「やりたいこと」にドロップアウトした「ニート」「フリーター」などと呼ばれる人々に至っては、上の世代からは「努力が足りない」と叱責され、下の世代からは「夢なんか追い求めて馬鹿だなあ」と軽蔑され、気持ち悪いくらい「安定志向」が強まっている。

こういう状況に置かれた「団塊ジュニア」世代に自殺者が増えているというのは、ある意味当然のことである。二十歳ぐらいまで正しいと思っていた(あるいは思わされてきた)ことが、今になって急激に否定されはじめているからである。私は90年代の「やりたいこと」「夢」を語る風潮に気持ち悪さを感じていた(はっきり言って軽蔑していた)が、今の状況もやはり健全なものとは言えない。「フリーター」は、もはや経済構造上絶対不可欠な存在になっているし、「正社員」そのものの社会的な安定性も以前よりもずっと低下しており、仕事の量も増えている。依然として政財界の経済政策は、「景気がよくなった」ことを看板にした「小泉路線」、つまり「組織に頼らずに自分の頑張り次第で成功を勝ち取っていくことを是とする」ことの維持・強化であることは変わりがない。こういう状況の下での「安定志向」は、「安定を得たはずだったのに」という絶望感へと簡単に変わりうる。それは、「終身雇用」を前提に入社してきた団塊世代がリストラの嵐の下で苦しんだ状況を見れば、容易に予想できることだ。

ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる世代を批判するのはべつに構わないけど、組織にしがみ続けた団塊世代や、享楽的な消費文化に没入したバブル世代に対する批判的・否定的な風潮の中で育ってきたことは理解される必要があるだろう。最近どうも、「安定志向」といい「バブル」といい、前に散々批判されて続けてきたことの亡霊が、批判されてきた歴史を忘れたままよみがえりつつあるような気がする。