醒めた中国論と真面目な中国論

http://takahara.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/200611210_67ac.html

中国関係でこのブログは面白い。前にもちょっと批判的に言及したことがある。

ただ東アジアの「反日ナショナリズムを「民主主義の機能不全への不満と諦念」でまとめるのは「なんじゃそりゃ??」という感じで全く納得いなかなかった。この人は日常レベルで中国や韓国の「生の声」に接しているらしいせいか、ナショナリズムをすべて擬似問題扱いしてしまうところがある。「こういう背景がある」という言い方ならともかく、「実はこうなんだぜ!」みたいな暴露趣味的な物言いがあって、これには違和感というか反発を感じる。

全然納得はできないが、こう理解したがるのはわかる。どんな反日感情を持っている中国・韓国人でも、普通にオシャベリしている時は身近な自分の生活についてしか語らないだろうし、そもそも日本人と中国人が外交や歴史問題で論争するなんてことは、よほど意識的に会話を誘導しないと難しいだろう。この人にとっては、おそらく中国人や韓国人は別に特別な「外国人」ではない。コスモポリタンなのではなく、この世代の人には外国人の存在が別に特別なものではないので、民族間の壁を意識するような経験が希薄なのである(特に研究者は日常的に留学生や外国人教師と普通に接しているのでそうなりやすい)。おそらくは、愛国心もへったくれもない身も蓋もない日常会話の経験が、「ナショナリズムなんてしょせん表面的な問題じゃないか」という態度を生み出しているような気がする。あくまで推測で言っているに過ぎないが、おそらくそういうことだと思う。

ちなみにこの人と対照的に、「反日ナショナリズムに真面目に戦っている人に水谷尚子という人がいる。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163662308/sbb-22/ref%3Dnosim/503-0798173-9304718この本、全部は読んでない、というかうんざりして読めなかった。「反日ナショナリストに精力的に取材しているバイタリティと中国に対する熱い眼差しには敬服するが、視点があまりに単調で反日ナショナリズムと中国の現実を過度に同一視しているところがある。率直に言って視野狭窄であり、元指導教官に破門されたということだが、私が同じ立場でもそうするかもしれない。取材が綿密で真面目すぎるだけに、巷の印象論的な中国批判以上に「中国はこんなにひどいのか!!」という印象を与えるところがある。こういう本は日本で出版しても漠然とした日本人の反中感情にお墨付きを与えるだけで、可能な限り中国語で出版すべきだろう。

おそらく高原氏は器用で醒めた頭を持っている人であり、水谷氏は絵に描いたような不器用で真面目な人である。ここまで同じ問題でここまで対照的だと、「クソマジメな情熱で醒めてみる」という態度は可能じゃないのかなとおもってしまう。