中央集権と地方自治

地方税論議 遠い収束

http://www.asahi.com/business/update/1116/TKY200711160033.html


前も書いたことがあるけれど、やはり元凶は地方の風景が首都圏に本社をもつ企業、工場、大型SC、ファミレス、コンビニだらけになっていることにあるのだと思う。

税制は難しいので論じるのはさし控えるが、単純に考えればコンビニの企業の東京本社には企画・立案をする高賃金の社員が集中し、地方には現場で働く低賃金の店員が圧倒的なのだから、自然と賃金格差が広がり、消費の規模と税収の格差も自ずと広がっていくということなのだろう。現在言われている「格差社会」の問題における「企画・立案をする高賃金正社員層」と、「単純労働を行なう低賃金正社員・非正規雇用層」の格差の構図が、おおまかに都会と地方の格差の構図と重なっているだけなのだと思う。

小泉政治を批判する左派系の学者も、中央の権限が地方に配分されるのはいいことだと、「三位一体」の「地方自治」政策に関してはほとんど批判を加えなかった。だがその結果は、地方が「中央」なしにはとてもやっていけないという現実を浮き彫りにしただけだった。90年代に盛んに唱えられ、小泉政権の中で推進された「地方自治」は、地方に根を張った企業などほとんど弱体化し、都会に本社をもつ企業や店舗で埋め尽くされ、東京で下された決定が地方の風景を日々変化させているという現実を適切に評価できていなかった。

「地方も企業の本社を誘致するように努力を」などと言う人がいるが、そういう開発競争が全国各地に寒々とした「工場建設予定地」の空き地を乱立させたことは忘れてしまったのだろうか?「地方は地方のよさを生かして」などと綺麗事をいう人も、地元の人間はそんなものに見向きもせず、大型SCやコンビニに喜んで行くという当たり前の現実を全く無視している。

人々の意識も経済活動も東京へと中央集権化しているのだから、「地方自治」はあくまで限定的な場面だけにして、日本の政治の基本線は「中央集権」でよいのでないだろうか。そのほうが日本社会の現実に即しているだけではなく、地方に対する手当てや支援がより正当化されやすいと考える。