「格差社会」が流行する理由(3)

④「ホリエモン」ブーム 
 格差社会論の流行に火をつけた立役者は明らかにホリエモンこと堀江貴文容疑者である。彼がマスコミに登場する2003年以前には、格差社会論はほとんど存在していなかったように思う。私の考えでは、堀江が格差社会論を流行させたのは、若くして大富豪になっているという格差社会の「実例」を見せつけられただけではなく、大多数の「何の取り柄もない平凡な人」の「成功」を最終的に諦めさせたことにある。
 今の自民党執行部や自由主義的なエコノミスト連中は、堀江の登場によって若い人たちに活力が生まれるようになると期待していた。実際そういう人間もいたのかもしれないが、全体的に見ると、堀江の存在は(一方では彼に拍手喝采を送りつつも)若者のやる気を著しく殺いでいく効果を果たしたのでないかと私は考える。何故かと言えば、そもそも堀江や「ヒルズ族」と呼ばれるような人間になることが可能であると想像できる人間は、当たり前の話、ごくごく一部に過ぎないからである。30そこそこで数十億も稼げる人間は、よほどの運と才能を持った特異な人間であると考えるのが普通であり(実際堀江はそういうキャラだった)、こういう人々が「成功モデル」なると、当然ながら「自分は成功なんてしなくてもいい」と観念する若者が多くなるのではないだろうか。
 要は、会社の言うことに従ってまじめに働けば、ごく平凡な人間でもそれなりに高い所得と社会的な地位を得ることができる、という旧来の企業社会の「神話」をぶち壊したのが堀江だった。昔から大企業の不祥事で社長が頭を下げるたびに、「どうしてこんなつまらなそうな人が大企業のトップなんだろう」と不思議に思ってきたが、考えてみれば、何の取り柄もない平凡な人でも社長になれる可能性があるということが、大多数の「何の取り柄もない平凡な」人々の勤労意欲を駆り立て、「豊かな中流社会」を創ってきたのである。
 いま「何の取り柄もない平凡な人」は、年収200万程度で給料がほとんど上がらず、サービス残業は当たり前で、産休手当てなどあってなきがごとしの状態で働いている。しかも企業は昔のような共同体ではなく、上司から叱責されて落ち込んでも、それを周りでサポートするような人間関係はなくなりつつある。「会社共同体」を生きてきた上の世代は「勤労意欲が足りない」「我慢が足りない」と若い世代を嘆くが、昔は特に一生懸命働こう、我慢しようなどと無理に頑張らなくても、当たり前のように一生懸命働いて我慢できるような環境があっただけなのである。
 まとめると、堀江が格差社会論の流行に寄与したのは、彼が大富豪の若者であったというだけではなくて、「何の取り柄もない平凡な人」でも、誰でもできるような努力で社会的に成功する可能性があるという、かつて日本の企業に存在していた神話を徹底的に破壊したことにある。格差社会論の流行は、こうした「平凡人」が「金持ちになりたいやつは勝手に頑張ればいい」と「下流」に居直り、「成功」を諦めはじめたことによって起こっていると理解できないだろうか。

 たぶんまだ続きます。