過当競争社会

耐震強度偽造問題の証人喚問があった。この問題の背景に過当競争があることは明らかである。当事者は全員心の中でこう思っているはずである。「批判している奴は競争社会の現実の厳しさをしらないくせに!」と。

健全に市場を運営する為には、市場に対する参入を規制しなければならない。コンビニがあちこちでできたと思ったらたちまちのうちに潰れているが、こういうことをちゃんと規制しないから、需要が少ないのに建築士や建築会社が大量に参入して、少ないパイの奪い合いになってしまう。こういうことが続くと、市場競争に対する幻滅感のほうが広がるだろう。

最近「自由競争」にはなったが、一部のなんで儲かっているのかよくわからないIT企業と、過当競争でコストダウンとリストラの圧力で悲鳴をあげている会社と、どっちかの競争ばかりがやたらに目立っている。画期的な製品を開発して、それが売れて業績が好調になって、それに対抗するために新たな製品を・・・・・・、という当たり前の「競争」の話が聞かれなくなった。あるのかもしれないが、明らかに後景に引いている。だから、景気が良くなったかどうかわからないが、少なくとも活力や明るさというものを全く感じない。

「勝ち組」と言われるような人を見ていると、ギラギラしているというよりは冷めきっている。正しさを説明するのではなくて「何で悪いのか」だけを繰り返し、単調なまでの教科書的な市場原理主義に居直る。そこには世の中全体の上昇を期待するようなものはないし、当の本人も「公共性」を語るコミュニケーションスキルは身につけてはいるが、「世の中」のことなどあまり関心がなさそうなことは明らかである。別にそういう人たちがいること自体は面白いが、今の自民党の執行部はこういう人たちを基準に世の中を組み立てようとしているのである。

しかし、今回の事件でもJR西日本脱線事故でも露わになったように、多くの場面での競争は「コストを下げろ!」「もっと真面目に仕事しろ!」という、働く側にとってはほとんどポジティブなモチベーションをもてないようなものになっている。給料は大して上がらないし、職場の人間関係も仕事以上の人間的な付き合いはほとんどなくなり、仕事のやる気を上げる社会的環境がほとんど存在していない。あるのは「金のため」か「働いていないと恥かしい」かのどっちかしかない。

少子化問題でも書いたが、今の執行部はそこらへんの新書でも読めば容易に手に入るこうした現実に対処しようとしている気配がない。いわゆる「勝ち組」を基準に政策立案をしているから、世間の人は「『負け組』にはなりたくない!」などという、間違ったモチベーションを高めてしまうのである。いま世間に横溢している気分は「勝ち組」になるための活力ではなく、「負け組」なることへの不安や恐怖である。こういう現実を少しでも深刻に受け止めていれば、「民間でできることは民間に」などというスローガンは恥かしくて使えないはずである。