そこまで危機的と思い込む必要はない

結局、この二人の「大人」性と「子ども」性は、次のやりとりで明確に浮き彫りになります。


>城さんの話は「ウルトラC」があるような感じがするんですよ。ここさえやればうまくいくんだ、という。でも私はウルトラCはないと思う。いくつものステップを踏まないと、いきなり欧州型の職務給などにはならないし、横断的労働市場も形成されない。


>私はそれでもウルトラCに賭けてみたい。


世の中の仕組みをどうするかというときに、「ステップを踏むなんてもどかしい」と「ウルトラCに賭ける」のが急進派、革命派であり、「ウルトラCなんかない」から「ステップを踏んでいくしかない」と考えるのが(反動ではない正しい意味での)保守派であり、中庸派であると考えれば、ここで湯浅氏と城氏が代表しているのは、まさしくその人間性レベルにおける対立軸であると言うことができるでしょう。


http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html


私も件の記事を読んでみたのだけど、城繁幸氏に感じた違和感は「ウルトラC」というよりも、中国や韓国との生存競争が厳しいとか、財政状況が危機的であるとか、要するに「ウルトラC」の根拠として、現在が非常事態であることを強調している点にある。

だから私が一番妙だったのは、死にそうな人を相手にしているはずの湯浅氏がそこまで非常事態を強調せず、十分に食えている人たちを相手にしているはずの城氏が、「ウルトラC」でしか挽回不可能だという焦燥感に駆られている点にある。

おそらく湯浅氏は、表面上の主張よりも、現在の日本がそこまで危機的状況にはないと考えている。日本は世界第2位の経済大国であり、そこそこ余裕のある人たちが若干の分配に応じてくれれば、ある程度の問題はすぐに解決するはずだと、そう考えている。

ところが城氏は、この日本の政治・経済の構造そのものに根本的な欠陥があるので、それを根元から除去しなければ早晩には破綻してまい、そうなれば貧困者への分配だってできなくなるんだと、ひたすら危機感を煽る。

私も危機感を煽りがちなタイプだが、現実認識は明らかに湯浅氏に近い。そして、城氏はグローバルな経済競争への適応をひたすら説き、湯浅氏はそれを無条件に受け入れるべきではないと言っているが、この点でも湯浅氏のほうが正しいと考える。経済が自然現象ではなく人間が構成しているものである以上、それを人智によって適度なものに修正することが不可能だと考える必要は、どこにもないからである。そもそも城氏の言う「現実」も、どこまで根拠のあるものか怪しいものである(個人的な印象では彼はハッタリが非常に多い)。

それにしても城氏のように、世代間格差に基づくルサンチマンをフックにして何かを語るというのは既に賞味期限切れというか、さっさと賞味期限切れにしなければいけないと思う。